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町石には壇上伽藍からの距離(町数)のほか、密教の金剛界三十六尊及び
胎蔵界百八十尊の梵字、寄進者の名前、建立年月日及び目的などが彫り込まれています

また、弘法大師御廟を基点に根本大塔まで36基の町石が建てられ、216基の町石のうち179基については当時のものが遺り、一町ごとに礼拝を重ねながら山上を目指した参詣の様子を今に伝えています。

高野山
根本大塔
高野山 大門
高野山大門
かつらぎ町 高野参詣町石道
高野参詣町石道
高野参詣町石道コースマップ
- 高野参詣町石道コースのご案内 -
●慈尊院〜丹生都比売神社
紀ノ川平野から天野の里へ
高野参詣町石道 180町石
基点となる180町石は、
丹生官省符神社の石段横にあります
九度山町 慈尊院
出発点となる九度山町慈尊院です
九度山町 慈尊院
町石
町石
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古くから女人高野として名高い九度山町の名刹、慈尊院(じそんいん)の門をくぐる
ところから高野山町石道が始まります。弘法大師の母君は晩年、讃岐国よりここに移り住み、高野山は女人禁制であったため、山下のこの地より高野山の開創を
見守ったといわれます。門の左手にある檜皮葺のお堂は秘仏で国宝の弥勒仏を祀る弥勒堂(国重要文化財)です。境内の南にある石段を上ると慈尊院の守護神丹生官省符神社(にゅうかんしょうぶじんじゃ)に至ります。石段の途中右手に
ひっそりたたずんでいるのが百八十町石五輪卒塔婆、すなわち最初の町石です。

慈尊院丹生官省符神社勝利寺を過ぎると、町石道はどんどん急坂となって
高度を上げていきます。特に百七十三町石から百六十六町石の上りはゆっくり
歩いた方がいいでしょう。百六十六町石の西50mには休憩所を兼ねた展望台
が整備されています。ここにはあずまやや休憩ベンチ、周辺の展望を解説した写真パネルがあり、紀ノ川平野から東に奈良県・三重県境の高見山(標高1248m)、その東南には高野山の山並みが意外と間近に見えます。

再び展望台から町石に戻り、この地域で特産の富有柿の畑の中をさらに登っていくと、紀ノ川平野の眺望がますます良くなり、百五十六町石から百五十九町石
あたりは紀ノ川河口あたりまで視界が開けています。また春から秋にかけて、
町石道周辺ではさまざまな種類の蝶やトンボと出会えるのもここを歩く楽しみの
ひとつです。

百五十四町石付近では雨引山(標高477m)との分岐に至り、さらにゆるやかな上りを続けながら百三十七町石から花崗岩の石段を上りきると六本杉峠
(天野峠)に至ります。町石道はここで直角に左へ曲がります。分岐点の角にあるのは町石ではなく、碑伝形式の板碑で、建治2年(1276)の建立で、法眼泰勝の銘があります。

町石道に入らず六本杉峠をそのまままっすぐ下っていくと、1.3kmで天野の里の
石造卒塔婆群(せきぞうそとうばぐん)丹生都比売神社(にうつひめじん
じゃ)
に至ります。神社の境内には国重要文化財の楼門、本殿があり、神仏習合の信仰で栄えた往時の面影をたどってみるのもよいでしょう。
クリックで別の写真が見られます
 
かつらぎ町観光協会
高野参詣町石道
大門
高野参詣町石道 町石
高野参詣町石道 町石
高野参詣町石道
高野参詣町石道 町石
九度山町慈尊院 女人高野とよばれています 天野の里 丹生都比売神社
までのコースをご案内します
紀伊山地の霊場と参詣道へ移動
世界遺産の「高野・熊野」が世界中から注目を集めています!聖域として信仰の象徴とも言える高野山、悠久の昔より人々が歩いた信仰の道・熊野古道、熊野三山への旅。遊びだけの旅行から、少し学びがある旅を子どもたちとしてみませんか

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連日多くの方々が訪れます 
語り部さんの軽快な説明に引き込まれます!
高野山 根本大塔へ移動
高野山は現世浄土として広く信仰を集めています。
古くからこの聖地へ向かう道は幾本もありましたが、それらは山に
近づくにつれて合流、七つの道に集約されて山内に入っていきます。
その七つのうち九度山の慈尊院から山上西口の大門へ通じる
表参道を「高野山町石道」といい、開山のおり空海が木製の卒塔
             婆を建てて道しるべとした道です。鎌倉時代
             になって朽ちた木の代わりに石造り五輪塔形
             の町石が1町(約109m)ごとに建てられました。
九度山駅から慈尊院〜丹生都比売神社ルート
石造五輪塔 (町石) とは
和歌山県世界遺産センター
公式ページへ移動します
丹生官省符神社
九度山町 丹生官省符神社へ移動
かつらぎ町 高野参詣町石道 二ッ鳥居

二ッ鳥居

39町石

クリックで移動します

かつらぎ町観光協会

丹生都比売神社から西へ800m行くと二ツ鳥居(ふたつとりい)への登山口にあたる八町坂に至ります。ここから急坂をさらに
800m上ると、右に百二十町石、左に二ツ鳥居が見えてきます。八町坂に至る途中には西行堂(さいぎょうどう)などの史跡が点在しており、時間に余裕があれば訪ねてみたいものです。

峠の端に立つ二ツ鳥居の眼下には、丹生都比売神社と、天野の里が見えています。ここにも展望休憩所があるので、ひと休みするのもいいでしょう。

町石道は百二十町石から百十五町石までは下りが続きます。百十六町石のやや下方には白蛇明神を祭る垂迹岩(すいじゃくいわ)があります。百十五町石まで歩くと前方に緑の草原が見えてきます。これはゴルフ場です。町石道はここから八十七町石あたりまで、その中を出たり入ったりしながら通過します。
途中、水田が見えてきますがここは神田の里で、かつて丹生都比売神社に米を献上する神田があったところもあり、応其池
(おうごいけ)や神田地蔵堂(こうだじぞうどう)があります。

地蔵堂を過ぎると、それまで植林が中心であった景観が、照葉樹やアカマツに囲まれた爽快な自然林に変化してきます。
さらに水田跡が残る八十五町石あたりからはせせらぎの音が聞こえてきます。
ここから笠木峠までもうすぐです。

町石道の道中で最後の集落である矢立まではあと2km足らずに迫り、笠木峠を過ぎると町石道はほとんど下りとなります。
七十八町石から七十九町石あたりの路面はすべりやすいので特に気をつけてください。

矢立に近づくにしたがって、それまで道中でほとんど耳にすることがなかった電車の音や車の音が聞こえてきます。町石道を
下り切ると、国道480号との合流点の右手に六十町石があります。道路を横断し、民家と民家の間の舗装路を歩けばほどなく、五十九町石と六地蔵が見えてきます。

高野参詣町石道
高野参詣町石道
高野参詣町石道は
平成16年7月に
「紀伊山地の霊場と参詣道」
として
「世界文化遺産」に
登録されました
高野山 大門

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■家族旅行に ! 子供たちと自然と文化を学びませんか?
■天野の里の詳しい情報はこちらから
●大門から奥の院へ
高野山の二大聖地を歩く
矢立から先、高野山までの間に人家は一軒もありません。
いよいよ、聖域の始まりといってもいいでしょう。五十四町石付近にはかつての女人禁制の結界であったと思われる
袈裟掛け石と押上石(けさがけいしとおしあげいし)があります。

四十町石手前で車道を横断すると、大門(だいもん)まで車と出会うこともありません。
ちなみに三十九町石から三十七町石は、現在の町石道とややはずれて、車道沿いに立っています。三十四町石付近から山並みを眺めると、大門の屋根が遠くに見えてきます。旅人がその姿を
映したほど光っていたという鏡石、昔の大門があった場所といわれる十一町石を過ぎれば、高野山まであと少しです。

大門から高野山の中心部に向け歩いていくと、左手に大きな杉や槙の林が見えます。西側の杉の木立に囲まれているのが
壇上伽藍(だんじょうがらん)で、その東隣の高野槙に囲まれているのが高野山真言宗総本山 金剛峯寺(こんごうぶじ)です。

壇上伽藍金堂手前の国道沿いに慈尊院側の一町石、弘法大師ゆかりの三鈷の松(さんこのまつ)、根本大塔下の愛染堂の前には奥の院側一町石があり、ここが霊場・高野山の中心であることを示しています。町石道はここから蛇腹道を経て金剛峯寺、さらに3km先の奥の院弘法大師御廟へと続きます。

高野山の街中の町石は、天災や火災などにより壊れたのか、当初のものは残っていません。しかし奥の院境内は大規模な災害にあまり遭遇しなかったため、鎌倉時代の建立当初の古い町石が残っています。金剛峯寺から千手院橋の信号を渡ってしばらく、国道371号の看板を目印に右の方へ進むと、金剛三昧院(こんごうさんまいん)に至ります。

奥の院のほうに向かってさらに進んでみると、苅萱道心と石童丸の悲話で知られる苅萱堂が右に見えてきます。ほどなく道路はゆるやかな下り坂になって、二つに分岐します。
どちらを歩いても奥の院に行けますが、町石にそってここは左側の旧道をそのまま歩くことにしましょう。

すると巨大な杉木立と白い橋「一の橋」が見えてきます。ここから弘法大師御廟まで続く全長2kmの参道の周囲一帯が奥の院の聖域です。参道の両側には高さ3〜5mはある巨大な五輪塔が林立し、松平家や上杉家をはじめ、全国の大名の多くがこの境内に墓石を建立しています。

そのかたわらには無名の庶民の墓や歌碑(かひ)なども点在し、奥の院の墓石の数は20万基とも40万基ともいわれています。燈籠堂の貧女の一燈(ひんにょのいっとう)は、貧富の差を
乗り越えて高野山、しかも弘法大師のお膝元での供養を強く望んだ庶民の願いを今も受け継いでいます。

金剛界三十七尊に見立てられた町石は、壇上伽藍から弘法大師御廟の瑞垣内の三十六町石が最後となります。37基目は弘法大師御廟であるともいわれます。
弘法大師
ルートマップ

南海上古沢駅〜
 壇上伽藍ルートマップ

かつらぎ町 丹生都比売神社 二ッ鳥居へ移動
高野参詣町石道
世界遺産町石道をたずねてへ移動
町石
http://www.youtube.com/watch?v=HJRwpjB8gNk
<申込及び問い合わせ先>
高野山町石道語り部の会 代表事務局
〒648−0198
和歌山県伊都郡九度山町大字九度山1190番地
九度山町役場産業振興課内
TEL:0736−54−2019 FAX:0736−54−2022
受付時間:午前8時30分〜午後5時00分(但し、土、日、祝日除く)
世界遺産「高野参詣町石道」を語り部と歩きませんか
世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」高野山町石道と熊野古道大辺路に記念スタンプ押印所が完成しました
根本大塔
ルートマップ

壇上伽藍〜
 弘法大師御廟ルートマップ

こちらからダウンロードできます

こちらからダウンロードできます

慈尊院多宝塔
町石は空海の生地讃岐産の高さ3m30cm
角の花崗岩。山上の根本大塔を基点にし
慈尊院の石段途中を最後に180町石を
建てました。
丹生都比売神社
「高野山町石道をたずねて」
PDF(3.57MB)
ダウンロードはこちらから!
高野山町石道では以下の箇所にスタンプ押印所があります
■丹生都比売神社の詳しい情報はこちらから

38町石

●二ッ鳥居〜矢立
自然林に囲まれた古道
37町石
丹生都比売神社が鎮座する゜天野の里」 さまざまな伝説と歴史ロマンあふ
れる天野より二ッ鳥居を経て「矢立」までのコースをご案内します
高野参詣町石道
■高野参詣町石道ウォーキングコース別マップ
高野山 根本大塔
二ッ鳥居
九度山町 慈尊院多宝塔へ移動
文永3年(1266)以降は、
鎌倉幕府の有力御家人、
安達泰盛らの尽力で朝廷、
貴族、武士などの広範な寄進により朽ちた卒塔婆に代わって石造の五輪卒塔婆が建立され
ほぼ完全な形で今日に遺されています。
町石にはそれぞれ密教の仏尊を示す梵字と高野山に至る残りの町数、そして寄進者の願文が刻んであり、巡礼者や僧侶は
この卒塔婆に礼拝をしながら、全長約23km(うち高野山内4km)、標高差700mの道程を一歩一歩山上に導かれて行ったのです
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高野参詣町石道
高野参詣町石道 町石
高野七口といわれる高野山の
登山道七本のうち弘法大師空海によって高野山の開創直後
に設けられた参詣道です。
紀ノ川流域の慈尊院(海94m)から高野山壇上伽藍(815m)を経て高野山奥の院弘法大師
御廟に至る高野山への表参道です。
町石道が開かれた当初、弘法大師は慈尊院から高野山まで
の道沿い一町約109mごとに
木製の五輪卒塔婆を建立した
とされます
かつらぎ町域には 56基の町石が 現存します
ルートマップ

南海九度山駅〜
 南海上古沢ルートマップ

かつらぎ町 丹生都比売神社へ移動
平成16年7月7日、ユネスコの世界遺産委員会において、
「紀伊山地の霊場と参詣道」という名称で、高野山町石道も
文化的景観(自然と人間の営みによって形成された景観)とし
て、世界遺産に登録されました。また、この高野山町石道が
高野山参詣の表参道であり、天皇や法皇の御参詣も多かった
ため、御幸道とも呼ばれています。

現在見られる石造五輪塔形の町石は鎌倉時代に建てられた
もので、それぞれ町数を表す数字や施主名、願文が銘記されて
いるものもあります。なかには冥土に旅立った人たちに対する
感謝報恩の念であったり、不思議な位置に建つ町石もあります。
石の下をくぐれば長生きすると伝えられる鞍掛石や、押上石、
鏡石など、千年の歴史をもつ古道を語り部とともに歩いて
みませんか。
 
高野参詣町石道 語り部
高野参詣町石道
高野参詣町石道 記念スタンプ押印所